これを書いているヒト

2012年8月6日月曜日

いい加減「自分の気が済まないから」と騒ぐのはやめにしないか?



ワタシがたまたま見かけたのはTwitterで「黙祷の時にさわぐのはやめて」というツイートだった。
今日は60年以上故人を偲んで追悼に来ている方々もいるのでしょうから、まわりで騒がれたらそれこそ広島・原爆を口実にしてるといわれてもしかたないでしょうね。

本当に原発とめたくて活動を拡げたいなら訴える場所も手段もズレてるし、原発使わなくてもいいような代行手段の確保に尽力をつくす活動をすればいい。代わりができるなら早いに越したことはないでしょう。まさか騒げばそういうところの苦労は別の人がやってくれるとか思ってないよね。

どうもそういう方向には行かないなら、目的は別のところにあるんだろうなあと思わざるを得ない。
もちろん、ずーっと何十年も心の底から真剣にこの問題に取り組んでいるヒトだっているのでしょう。
しかし人間というのは質が悪いことに、集団のエネルギーを利用しようと別の目的を持った人間がついてくる。活動が大きくなればなるほど。

大丈夫かな。

具体的な部分に反応だけしている(この場合、気持ちにまかせて怒りをぶつけるとか)だけだと、別の目的に利用されるだけですよ。何の目的でその手段を講じるのか、それは手段として効果的なのか、自分の行動を客観的に捉えるようにしないと、誰かのいい道具にされてしまいますよ。
これはどんな行動をおこすにも、どのような判断を下せばよいかの有効な座標となるでしょう。

経済不安や社会不安が増大していく頃に、仮想敵を作り上げエネルギーをそこに向けていくという方法は、ガス抜きが必要な社会にはよくあることですけどね。
肩こりをお灸で癒すように、筋肉のおこす痛みを熱の痛みに変換させて楽になったように思わせるみたいに。

お気をつけ下さい。

最後に黙祷。



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