これを書いているヒト

2015年2月25日水曜日

【日記】脳の調整器官としてのカラダ

photo credit: Hojicha Stalk Teanobi via photopin (license)


このあいだ大量に電子書籍を買った。
とはいえ半分は技術書だ

Kindleが出てきていらい、重くてデカくて厚い技術書は、
気軽に持ち歩けるものとなった。
決して読みやすくなったとは言えないが。

しかし、明らかに電子と紙ではアタマの入り方がちがう。
最初は歳のせいか?(おいw と思っていたのだが、
電子書籍でもするする読めるものもあれば、ぜんぜん入っていかないものもある。
おかげで紙の本で買い直したものもあるくらいだ。

コンテンツとして差はないはずなのに、なぜ?

Psycho-pass で槙島聖護のセリフにこんなのがあった

「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」
「調子が悪いときに、本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪いときでも、すらすらと内容が入ってくる本もある。なぜそうなるかを考える。――精神的な調律、チューニングみたいなものかな。調律する際、大事なのは紙に指で触れている感覚や、本をパラパラとめくったとき瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」


同じ文字列でも、カラダの受け止め方が違うのかもしれない。

人間の記憶する機能は脳を中心に語られるが、カラダから得る情報も
脳の記憶と不可分のものではないのか?
マドレーヌの一切れをやわらかく溶かしておいた紅茶を口にしたとたん、
コンブレーでの日曜日の朝を思い出したように。※1



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※1 読んだことはなくても、このくだりはなんとなく知ってるひといるかな。

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